ゲームと教育について考える。ポケモンZAを見て感じる、子供から奪われた「失敗する権利」

子どもがゲームで遊んでいるのをみて、親世代が遊んでいたゲームとかなり様相が変わっていることに気付き、これでいいのか考えさせられた。。そんなことを少しお話します。

こんにちは。今日も余談です。

最近、我が家の子供たち(小学生と保育園児)が、発売されたばかりの 『Pokémon LEGENDS Z-A(ゼットエー)』 に夢中になっています。

美しいグラフィック、3Dの世界でフィールドにポケモンがうろうろしてい光景に最初は感動しました。子供たちも楽しそうに遊んでいるのは良いことなのですが、そのプレイ画面を横で見ていると、ゲームボーイ世代の私としては、ある種の「強烈な違和感」を感じずにはいられませんでした。

それは、 「ゲームが子供に気を使いすぎているのではないか?」 という疑問です。

今回は、現代の親切すぎるゲーム設計と、それによって失われつつあるかもしれない **「子供の成長機会」**について、少し真面目な話を書きたいと思います。

1. 「戦わなくてもいい」世界と、接待のようなボス戦

私が衝撃を受けたのは、子供のプレイスタイルとそのゲームシステムです。

今のポケモン(特にアルセウス以降の系譜)は、草むらでランダムに敵と遭遇して強制的に戦闘……というこれまでの常識とは異なります。フィールド上のポケモンに対し、何の躊躇もなく、戦わずにいきなりモンスターボールを投げつけまくって捕獲していくことが可能で 戦闘が必須ではないのです。

もちろん、それは 「多様な遊び方」 の一つでしょう。しかし、もっと驚いたのはボス戦のような緊張感のある重要な局面です。

子供が操作ミスでやられてしまっても、直前からすぐにやり直せる。しかも、 ボスの体力は削れた状態から再開されるモード まであります。

これを見た時、 「これはゲームなのか? それとも接待なのか?」 と思ってしまいました。 昔のRPGのように、理不尽な謎解きに頭を抱えたり、勝てないボスのためにひたすら同じ場所でレベル上げをする……といった「つまづき」が、意図的に排除されているように見えます。

2.「タイパ重視」の代償

もちろん、現代の子供たちが忙しいのは理解しています。 習い事に宿題、そして親が管理する厳格な「スクリーンタイム」。限られた時間の中でエンディングまで到達させるには、昔のような仕様では時間が足りないのでしょう。「タイムパフォーマンス(タイパ)」を重視する現代のニーズに、メーカーが合わせているのも分かります。

しかし、親としてはこう思うのです。 「ゲームという『最も安全な環境』でこそ、理不尽な失敗や、それを乗り越える苦労を経験すべきではないか」 と。

ゲームオーバーになっても、命を取られるわけではありません。失うのは時間だけです。 「悔しい!」「どうすれば勝てるんだ?」と試行錯誤し、自分の力で壁を乗り越える達成感。 それを最も手軽に味わえるはずのゲームから、そのプロセスがごっそり抜け落ちてしまっています。

3.「失敗したくない」子供たちとネタバレ消費

さらに気になるのが、子供たちの 「失敗への極度な恐怖」 です。

我が子を見ていると、自分たちがプレイするよりも先に、YouTubeの実況動画を見ていたりします。 「未知の冒険」をして自分で発見するのではなく、 「正解を確認してから、その通りになぞる作業」 をしているように見えるのです。

  • ストーリーの先々を動画で見て知っている。
  • 効率の良い進め方を知ってからプレイする。

これはもはや冒険ではありません。 現実世界には、攻略Wikiもなければ、人生のネタバレ動画もありません。 一生失敗しないことなどあり得ない現実を生き抜くために、ゲームの中くらい目一杯「失敗の練習」をしてほしいのですが、子供たちはそれを拒絶しているようにさえ見えます。

4. 「ゲーマーは賢い」説は過去のものか?

以前、 「ゲームをする子供は、論理的思考力や問題解決能力が高い」 という研究報告を見たことがあります。私もそれを信じていました。

しかし、それはあくまで 「試行錯誤(トライ&エラー)が必要なゲーム」 だったからではないでしょうか?

  • 今の装備で勝てないなら、どう工夫するか?
  • この謎を解くためのヒントはどこにあるか?

そうやって脳に汗をかくからこそ能力が伸びるのであって、オートセーブで守られ、攻略動画で答えを見ながら、ボタンを押すだけで進む「接待プレイ」では、残念ながらかつて言われていたような能力向上は期待できないのではないか。そんな仮説すら頭をよぎります。

多様性か、思考停止か 「戦わずに捕まえるのも、戦って勝つのも自由」 これを「多様性の受容」と捉えることもできるでしょう。しかし、まだ幼い子供にそこまでの俯瞰した視点はありません。彼らは単に 「楽な方」「失敗しない方」 へ流れているだけではないでしょうか。

5. 親としてできること

ゲームの設計を私たちが変えることはできません。メーカーも売れるものを作ります。 だとしたら、私たち親ができるのは、ただゲーム機を買い与えて「静かになってよかった」と放置することではない気がします。

  • 「今、どうしてそのアイテムを使ったの?」
  • 「このゲームの目的は何だと思う?」
  • 「もし攻略サイトを見ないでやったら、どうなるかな?」

そんなふうに横から口を出し(嫌がられるかもしれませんが)、 「考えるフック」 を親が作ってあげる必要があるのかもしれません。

現代の快適で親切すぎるゲームは、放っておくとただの「作業」になりがちです。それを「遊び」や「学び」に昇華させるには、アナログですが、親子の対話というスパイスが必要なのかもしれません。