「賃上げが進んでいる」というニュースを見るたびに、どこか釈然としない気持ちになります。確かに名目の給与は増えた。でも手取りはあまり変わっていない。毎月の生活費は確実に上がっている。なのに政府からは「子育て支援を拡充しています」「給付金をお配りします」という発表が続く——。
この感覚、気のせいではありません。
「文句を言っても仕方ない」「自分の勉強不足かもしれない」と思って飲み込んできた不満も、データと構造を整理すれば論理的に正当な不満だとわかります。今日は、子育て世帯が声に出していい3つの問題を、できるだけ正確な数字で整理したいと思います。
なお、この記事は政府批判を目的としたものではなく、「何が起きているか」を自分ごととして理解し、家計戦略に活かすための整理です。
不満①:社会保険料が静かに膨らみ続けている
「給与は増えたはずなのに手取りが増えない」——この感覚には、はっきりしたデータの裏付けがあります。
過去30年で「手取り」はむしろ減っている
株式会社トランストラクチャの分析によれば、過去30年間で月収は約15%減少しているにもかかわらず、社会保険料は約50%増加しています。プレジデントオンラインが報じたデータによれば、実質手取りは24年前と比べて年間84万円減っているという試算もあります。
給与明細を見ると「厚生年金」「健康保険」「介護保険」「雇用保険」がずらりと並ぶわけですが、これらの合計料率は右肩上がりで推移しています。
| 種類 | 2000年頃の料率目安 | 2026年の料率目安 |
|---|---|---|
| 厚生年金(労使計) | 17.35% | 18.3% |
| 健康保険(協会けんぽ・労使計) | 8.5% | 9.97〜10.0% |
| 介護保険(40歳以上・労使計) | 1.0% | 1.62% |
| 雇用保険(労使計) | 1.5% | 1.55% |
これにプラスして、2026年4月からは子ども・子育て支援金が医療保険料に上乗せされる形でスタートしました。2026年度は標準報酬月額30万円の場合で個人負担月345円程度ですが、制度上は段階的に引き上がる設計になっています。
社会保険料は「消費税の引き上げ」より見えにくい
消費税が上がると買い物のたびに実感しますが、社会保険料は給与天引きなので変化に気づきにくい。「少しずつ上がり続ける」という性質が、気づきにくさを助長しています。
老後の年金・医療保障のために必要な側面があることは事実ですが、「少子高齢化で現役世代の負担が増え続ける」という構造が変わらない限り、社会保険料率が自然に下がることはありません。
不満②:賃上げしたのに、税金が「こっそり重く」なっている
2点目は、多くの人が見落としがちな「隠れ増税」の話です。
「ブラケットクリープ」という現象
日本の所得税は累進課税で、所得が上がるほど高い税率が適用されます。問題は、この税率区分(ブラケット)が物価上昇に合わせて調整されていないことです。
例えば、昔は「年収500万円なら中間層」だったとしても、物価が上がって同じ生活水準を維持するために700万円必要になったとき、税率区分が据え置かれていれば「生活水準は同じなのに、より高い税率が適用される」という状態が起きます。これを**ブラケットクリープ(bracket creep)**といいます。
規模は年間1.92兆円
第一ライフ資産運用経済研究所(星野卓也氏)の試算によれば、2019年から2025年のインフレを考慮した場合、ブラケットクリープによる「隠れ増税」の累積額は年間約1.92兆円規模に達しているとされます。
内訳は次の通りです。
| 項目 | 年間の「隠れ増税」額(試算) |
|---|---|
| 所得税ブラケットの未調整 | 約0.98兆円 |
| 給与所得控除テーブルの未調整 | 約0.69兆円 |
| 住民税基礎控除の未調整 | 約0.25兆円 |
| 合計 | 約1.92兆円 |
2025年度税制改正で基礎控除の引き上げ等が盛り込まれましたが、その減税効果は約6,000億円程度と試算されており、1.92兆円の隠れ増税を相殺するには程遠い水準です。
日本では1995年まで「インフレ調整」をしていた
実はかつての日本は、インフレに合わせて課税所得の区分を定期的に引き上げる調整を行っていました。それが1995年以降は止まっています。
つまり、インフレが続くほど自動的に税負担が重くなる仕組みが放置されているわけです。ドイツやカナダなど多くの国では今もインフレ調整が行われており、日本の対応は国際的に見ても遅れています。
不満③:給付金・ばら撒きは「問題の先送り」になり得る
3点目が最もデリケートですが、最も本質的な問題だと感じています。
「給付金で助かった」は本当か
政府は子育て支援として、児童手当の拡充・給食費無償化・高校授業料の無償化・給付金の配布などを次々と打ち出しています。短期的に家計が助かる面があることは確かです。
しかし、その財源はどこから来るのか。
国債発行(財政赤字)の場合:将来世代への借金の先送りです。子育て支援で今の子どもを助けながら、同時にその子どもたちに将来の税負担を積み増している、という矛盾が生じます。
社会保険料の引き上げで賄う場合:子ども・子育て支援金がまさにこれです。「子育て支援を充実させるが、その財源は全員の医療保険料から取る」という設計です。受益者とコスト負担者の範囲が一致していないため、世代間・家族形態間での再分配の問題が出てきます。
日銀の金融緩和・資金供給を通じる場合:市中に流通するお金が増えることで物価が上がりやすくなります。中東情勢による値上げの記事でも触れましたが、日銀は2026年度のコアCPIを+2.8%と見込んでいます。給付金を渡す一方でインフレが進むと、「もらった分が物価上昇で消える」という状況になりかねません。
「100万円の給付金と2%のインフレ」を受けた人の実質
仮に政府が10万円の給付金を配ったとします。それと同時に、財政出動や金融緩和の影響でインフレが2%進んだとします。
年収600万円の世帯なら、2%のインフレで年間の実質購買力は約12万円分目減りします。10万円の給付金では相殺しきれない計算です。もちろん政策の因果関係は単純ではありませんが、「給付→物価上昇→実質価値の目減り」という流れが起きやすい構造は、経済学的に否定できません。
では何が「マシな方向」なのか——正解はないが、考える軸はある
これらの問題に「一発で解決する答え」はありません。ただ、方向性として議論されている選択肢はあります。
ブラケットクリープの解消:所得税の課税区分を物価・賃金上昇に合わせて定期的に調整する。国民民主党などが提唱しており、技術的には難しくない。ただし国の税収が減るため、財源の代替策が必要。
社会保険料の上昇抑制:少子高齢化が続く限り、現行制度のままでは保険料率は上がり続ける。制度の持続可能性のために、受給年齢の引き上げや給付水準の見直しが本質的には必要だが、政治的に難しい。
給付より「かからないコスト」の削減:教育費・保育費の無償化は「現金を渡す」より実効性が高い場合がある。使途が明確で、インフレの影響を受けにくい。保育所・学童の充実なども同様。
資産形成の支援:現金給付は使えば消えるが、NISA・iDeCoを通じた非課税での資産形成の枠拡大は、インフレに対して中長期的な抵抗力をつける支援になる。こどもNISAの記事でも整理しましたが、税制優遇を通じた資産形成支援は、ばら撒きに比べて財政への直接的な負荷が小さい。
「不満を持つこと」と「自分で動くこと」は両立する
この記事で言いたかったのは、「だから諦めろ」でも「国が悪い」でもありません。
自分の不満が感情論ではなく、データに基づいた合理的な不満だと理解することで、対策も変わります。
感情的な不満は消費・投票行動を歪めることがありますが、構造を理解した上での行動は合理的です。
- 社会保険料が増え続けるなら → 手取りベースで生活設計を見直す
- ブラケットクリープが続くなら → NISAなど非課税口座を最大活用して課税所得を抑える
- 物価が上がり続けるなら → 現金だけを持つリスクを認識し、インフレに強い資産に一部移す
「制度が理想的でない中でも、自分の家計を守る動き方をする」——それが今の日本の子育て世帯に求められる現実的な姿勢だと感じています。
家計全体の見直しと資産形成の基本については、こちらの記事もあわせてご覧ください。
まとめ
- 過去30年の現実:月収は15%減、社会保険料は50%増、実質手取りは年84万円減という試算がある
- ブラケットクリープ:物価上昇に対して税率区分が据え置かれ、年間1.92兆円規模の「隠れ増税」が進行中(第一ライフ資産運用経済研究所試算)。基礎控除引き上げによる対応はその3分の1程度にとどまる
- 給付金・ばら撒きの構造的問題:財源が国債なら将来世代への先送り、保険料なら負担の広域化、金融緩和なら物価上昇圧力。「もらった分が物価上昇で消える」リスクがある
- 正解はないが方向性はある:インフレ調整税制、社会保険制度の見直し、現物給付の充実、非課税資産形成の拡充がより持続可能な方向
- 個人としての対策:不満の構造を理解した上で、NISA活用・固定費削減・インフレ対応投資を粛々と進めることが最も現実的
「なんとなく生活が苦しい」を「なぜ苦しいのか、どう動けばいいか」に変換することが、情報を持つ者の強みです。